磁性体におけるフラストレーションとは、古典的かつ局所的で、さらには唯一のスピン配置が自明に存在しないことと考えられます。この直接の帰結として、古典的な局所秩序変数の非存在と多数の近似的な局所安定状態の存在による特異な低エネルギーの励起ならびに低温での大きなエントロピーの存在が示唆されることになります。
一方、量子磁性体においては量子効果によりこの古典的フラストレーションと大きな残留エントロピーも解放されることが可能であり、ギャップを持つ縮退のない基底状態が実現し得ることとなるわけです。局所的な幾何学的フラストレーションにより古典的反強磁性秩序形成が強く妨げられるのに対して、量子効果による局所的なシングレット形成に伴うダイマ−液体、固体としての励起ギャップが有限である量子スピン液体相の形成はこの典型例と考えられます。

 

このように量子スピン液体を考えたとき、系を特徴づけるものは局所的なスピン配置としての秩序変数ではなく、局所的なフラストレーションを解放する量子的な局所オブジェクトとなります。隣接する量子スピンからなる局所的なシングレット対や4スピンからなるプラケットシングレットがその代表例です。これらの局所的な量子オブジェクトを基本とするある種の秩序相を「量子秩序」と呼んだとき、これらの相は物理系のパラメタ−の連続変形により、これらの量子オブジェクトを孤立させた自明な系と断熱的につながることが期待されるのです。これは通常の臨界点の物理が繰り込み操作により固定点の物理によって普遍的に記述されることに対比できるでしょう。励起にギャップをもつ量子スピン液体相においては繰り込み操作の代わりに断熱変形を対応させ、多種多彩な物質相における量子液体相を、孤立シングレット対からなるシングレットカバリング状態などのある種自明な量子相により普遍的に理解しようというわけです。通常の繰り込み操作では、臨界指数が繰り込み操作での不変量、特徴的な物理量であったのに対して、ここでの断熱過程においては、M.V.Berry の発見以来のベリー位相、特に時間反転対称性等により2つの値しか取り得ない Z2ベリー位相が不変量となり、局所的量子オブジェクトを特徴づけるある種の量子秩序変数となるのです。